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チームに「問題児」がいる!をどうする?

陰でうわさをまき散らす。不満の声を拡散する。やる気なさそうに仕事をする。
そんな、組織の中に「負」の空気をもたらすメンバーがあなたのチームにいたら、あなたはどう対処するでしょうか?

ごく基本的な対応策としては、① 相手の話や周囲の話を聴き、現状・事実や真意を把握する② 組織の方針やマネージャーからの要望をすり合わせ、本人と改善行動を握る③ 一定期間、行動の改善が見られるか観察する④ ①~③を繰り返しても改善されない場合は、配置転換・退職勧告も視野に入れて接する。 といったところでしょうか?実際、多くのマネージャーが悩みながらもそんな取り組みをしていますし、私自身も最終的に最後通告をした経験があります。

ところが、そういった「問題児」を心を鬼にしてチームから除外したにも関わらず、その後しばらくしたらやはりチームの中に新たな「問題児」が出現するという経験はないでしょうか?「問題児」がいた時には表面化しなかったのに、いなくなったらなったで別の人が「問題児」化するといった経験。多くの組織でそういった現象を目の当たりにします。

多くのマネージャーは、問題行動を起こしている個人を目にした時に、この「問題」はその個人特有の「問題」と捉え、その「個人」の行動をどう修正するか?を考えます。
しかし、もしその個人がいなくなっても、やはりチーム内に問題行動が起きてくるのであれば、実は根本原因は「チーム」の在り方そのものにある可能性があります。

個人が集まり、複雑に関係し合って一つのチームを形成するとき、その「チーム」は単なる個人の集合体ではなく、「チーム」そのものが一つの「生命体」のような存在のように感じることはないでしょうか?
分かりやすい例で言えば、2020年のコロナ問題に直面した「社会」。「社会」全体が一つの「生命体」のようなうねりを起こしています。ある情報が拡散することで、店頭から一瞬にしてトイレットペーパーが無くなりました。仮に、トイレットペーパーを買おうとしている「個人」に「それはまったく事実無根の情報に惑わされた行動だからやめましょう」と説得し、納得して貰ったとしても、横を見ればまた別の人が慌てて買おうとしている。
「個人」の「問題行動」を見て「なんて無意味な」と憤ってみても、「社会」という「生命体」が「不安」に覆われていると、「個人」の「問題行動」にいちいち対処していてもキリがないのです。

似たようなことが企業の「チーム」でも起こる、という視点で見るときに、「個人」の「問題行動」は、その「チーム」という生命体の「声なき声」が特定の「個人」を通して表出した「シグナル」だと捉えることができます。

「個人の問題行動」から、その「チーム」に潜在する声なき声を聴く。
どういうことか?例を挙げてみましょう。

【事象】一人の「人」が、ネガティブな噂話を周囲にして、他の人たちもなんとなく賛同したり不安を感じたりしている。
【チームに潜在する声・想い】 もっと私たちを大事にして。私たちのことを見ててー。私たちのことを理解してー。私たちは日々不安なんです。これからの私たちの未来がどうなるのか、想像することに立ちすくんじゃうんですー。 「私たち」ってなんなんだろう? などなど。

上記、あくまでも「例」です。 【事象】を「個」の振舞いとしてだけみれば、「噂をまき散らす人」が「事実を歪んで認識する人」「何かの既得権益を守ろうとする人」「自分の立場・権力を強化しようとする人」などといった「特定の属性・特徴を持った人」という風に見えます。もちろん、その人が独自に持つ個性やメンタルモデルによる「個」の属性が「行動」に反映されている部分は、一つの真実としてあると思います。
一方で、「ある個人」の振舞いは、「そのチームに潜在する、無意識の声・想い」の影響を受けて『その個人を通して表れた、「チーム」の潜在的な声なき声のシグナル』と捉えれば、「チーム」に潜在する声や想いを、「チーム」に属する全体が「認知」し「反応」しない限り、「チーム」として根本的な解決・変容には向かわない可能性があります。

上記では「チーム」という言葉を使いましたが、 個人が集まって、「全体としての目的を持つ集団」が生まれた時、その集団は単なる個々人(部分)の集合体ではなく、全体として「ある種の生き物」としての挙動を起こすようになります。それは、部分(この場合は「個人」)が相互影響を及ぼしながら全体の挙動・形を形成する「システム(相互に影響を及ぼし合う「系」)」として捉えられるので「関係性システム」とも呼ばれるものです。

比喩として、「生き物」に置き換えると、 「全体」=「個体」(例えば、川波拓人という個体) で、それを形成する「部分」=細胞とか細胞の集合の臓器とか。。。 ですね。
その「個体」に病気の症状が表れた時に、「症状」に強く関与する「部分」に焦点を当てて対処する治療法を対症療法といったり、外科的療法といったり。主に西洋的な治療法が突き詰めてきた方法論ですね。
一方で、「個体」の「状態」は、特定の「部分だけ」が影響としているのではなくすべてが繋がって影響しているとみて、「特定の部分だけ」にアプローチするのでなく「全体を視野に入れて」アプローチするのが東洋的な治療法。例えば「頭痛」に対して「鎮痛剤」を投与するのではなく、頭痛というシグナルには「首・肩の筋肉の硬直が影響している」「筋肉の硬直には内臓の疲労が影響している」といった『繋がり』に目を向けて「漢方薬で内臓の元気を回復しつつ」「食事や生活を変えて内臓の疲労原因を取り除きつつ」「筋肉の硬直を緩めるために、鍼を打つ」なんていうのが、全体を視野を入れた東洋医学的「打ち手」ですよね。ちなみに、「鍼」も「症状」を起こしている部位だけに打つのでなく、結構離れた部位に打つなんてよくあります。それは、ある部位の筋肉に「鍼による刺激」を入れるとその筋肉が「反応」し、その筋肉の反応が別の筋肉の反応を引き起こし、といった連鎖を視野に入れるからです。

西洋医学的、東洋医学的、どっちがいい悪いではないです。
緊急を要する場合、短期的に症状を緩める場合、西洋医学的な部分へのアプローチは有効です。経営で言えば、採用や配置転換・解雇、評価基準の変更や組織編制の変更などはこれに当たります。特に一定規模以上の企業であれば、外科的な打ち手に耐える体力(売上や利益、構成人数など)もありますし、問題部分の占める影響が相対的に小さいので、西洋的なアプローチを取りやすいです。しかし、中小規模であれば外科的な処置に耐える体力も小さいだけに、短期的なアプローチが命取りになる場合も往々にしてあります。(部分の影響が相対的に大きいだけに、思い切った処置が功を奏することもあります)

「ひとマネ」の視点はどちらかと言えば東洋的な視点でのアプローチです。それは、「個人の主体的行動が生まれる」際には、周囲との関係性や周囲からの刺激が必ず大きく影響するからであり、「ひとマネ」が中長期的に自律的に動くチームを育てるための視点・スキルだからです。トレーニングの中で練習・実践する1対1のスキルは、「細胞を活性化し神経を繋げる、生命体の土台作り」みたいなもの。一方で、トレーニングの前半で焦点を当てる「イメージメント施策」や「コミュニケーションの『場』のデザイン・実行」は全体に「刺激」を入れることで関係性システム全体が緩やかに目指す方向に向かっていくよう「方向付け、エネルギーを増幅させる」打ち手の視点となっています。

論理的に対処・マネジメントするスキルに加えて、生命体としての「チーム」が育つスキルに関心のある経営者・マネージャーはぜひノックしてみてください。